俺とSF研究会

miyazaxi2005-09-19

映画"サマータイムマシーン・ブルース"を新宿で観た。俺は、正直俺の大学生活の多くを捧げた"SF研究会"というものに対して、ある種の複雑な思いがあるのであり、当然感慨持ってこの映画を観ることとしたわけだが、普通におもしろいエンターティメントで、出てくる女の子もかわいいし、脚本もそれなりに凝っていて、楽しい映画で良かったです。などと簡単に片付ければいいのだが、この映画における"SF研究会"というものは、部員はSFを研究しているわけではなく、あまつさえ"SF"の意味さえ知らないのであり、ただなんとなく普通(あまりオタクっぽくない)の人たちがだらだら集まっているだけのものとして描かれている(ついでに2030年においても)。脚本上なぜこういうことにしたかを推測するに、リアルオタクっぽい"SF研究会"を描いたらこの映画の大学青春爽やかさを減じてしまうことを危惧したか、あるいは/またはキャスト的にそれではリアリティがなさ過ぎになってしまうといったところではないか。とするとなぜわざわざ"SF研究会"にしなければならないのかという疑問が出てくる。しかし、映画の中では古典的な意味での"SF"という単語は連発される。これは、つまり、みんな"SF"の意味さえ知らないけど、映画やらゲームやらSFだらけで、もう普通という世の中で、反対側から"SF"に光を当てた時の影絵を写すみたいなことをしたかったのだろうか。脚本の人は79年生まれで劇団やってたみたいなので、そんなに古典的SFってものに思い入れがあるとも思えないけど、まあ、好きなのかもしれない。俺は、今でもたまにハヤカワSF読むけどね。